高齢者講習

 先日、運転免許証更新のために自動車教習所で七十歳以上対象の高齢者講習を受講してきました。全二時間程の講習で、前半はモニター写真、動画を見ながらの教官による講義、後半は視力(静止、動体、夜間)テスト、実車の運転テストでした。
 前半の室内講習では、高齢者車両相互事故で多い出会いがしら、追突、右折時の事故についての説明と注意点が話され、加齢に伴う視力低下などにより信号機や道路標識などを見落としやすくなること、交差点付近では速度を落とすことや左右から自転車や歩行者が来るかもしれないと予測をすること、歳相応に適切な速度と車間距離を保つこと、徐行とは車がすぐ停止できる速度で進むこと、そして、ゆとりを持った運転を心がけることなどを教えられました。
 後半路上の実車運転テストでは、車に乗って隣席教官の指示通りに教習所の運転コースを走りました。信号機のある交差点での適切な操作、一時停止標識のある交差点での徐行と停止位置での確実な停止と安全確認発進、進路変更時の合図の時期と安全確認後の緩やかな進路変更、縁石乗り上げ停止操作によるアクセルとブレーキの機敏操作確認、定速度(三十㎞/h)走行をしました。
 定速度走行の時にコース前方の路上に他の教習車が二台走っていた為に教官に見えなくなるまでしばらく待つように言われました。道路脇に停車してハザードランプを点けると教官からきつい言葉で「点けるな。」と言われて急いで消しました。その後、前方の車が見えなくなったのでスタートし定速度走行して教習を無事に終わりました。
 自分の経験から一般道路でしているように良かれと思ってハザードランプを点けたのですが、教習マニュアルにはなく不必要だったようです。これは、神様の救いの方法と通じるところがあるなと思いました。
 人は、歳を取ればとるほど経験がものをいい頑固になるとよく言われます。私たちは、自分の経験や方法や努力で救いを得ようとしたり、悟りを得ようとしたりしがちですが、聖書の示す救いは、私たちのすべての罪を身代わりに負って、十字架の上で贖いの死を遂げられ、墓に葬られ、三日目に甦られた主イエス様をただ信じることだけです。これに何も付け加える必要はありません。いいえ、付け加えてはいけないのです。なんと素晴らしい、神様らしい救いの方法でしょうか。ただただ感謝するほかにありません。もちろん、主イエス様を信じて救われた人は、その恵みと愛ゆえに喜んで神様の御心に従って歩み始めます。
「人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」 ガラテヤ人への手紙二章十六節