新五千円札

 昨年(二〇二四年)七月三日に新紙幣(一万円、五千円、千円)の発行がありました。既に手に取られて使われている方も多いと思います。
その中で五千円札は女性の津田梅子さんの肖像です。今までお名前だけは知っていましたが、最近ふとしたことから彼女の事を少し詳しく知り、同じ信仰者だったのかと嬉しくなりました。
 津田梅子さんは、近代日本の女性の地位向上に貢献した人として有名ですが、一八六四年(明治元年)十二月三十一日に東京都牛込で旧佐倉藩(現千葉県佐倉市)出身農学者津田仙(母は初子)の次女として生まれ、一九二九年(昭和四年、因みに私の父が生まれた年)八月十六日に神奈川県鎌倉で亡くなりました。享年六十五歳でした。
 六歳の時に、時の明治政府岩倉具視使節団の女子留学生五人のうち一番歳の若い一人として渡米してワシントン州ランマン夫妻の許で十八歳まで十一年間勉学に励み過ごしました。その間、八歳の時に自ら希望してクリスチャンとなりました。
帰国後は、初代総理大臣伊藤博文宅で英語家庭教師として住み込み、お仕えしました。津田梅子没後に発見された育ての親ランマン夫妻との数百通の手紙の中に、この時、伊藤博文が彼女にキリスト信仰について尋ねたエピソードードがつづられています。
 「クリスチャニティーについても初めて質問を受け二時間近くもその話をしました。彼はキリスト教がその道徳や教義で他の宗教よりも優れているとして好意を持ち、日本にとっても悪くはないと思っていますが、決して信仰しているわけではありません。ただ、『キリスト教の事は少ししか知らないしもっといろいろ知りたい。』と言いました。嬉しいことだと思いません?素晴らしい可能性があります。何を言い、何をしたらよいでしょうか。
 私はその時、もっと話したかったのですけれど言い尽くせませんでした。私はあまりにも無知で、私の信仰の理由も説明もできず、議論も説得もできませんでした。私はただ神を信じています。もし、彼の質問に正しく答えられたらどんなに良かったでしょうに。キリスト教がこの国に根を下ろしたらどんなに素晴らしいでしょう。・・・・・私は聖書の言葉を思い出し、何かの機会があった時、毎日が失うものではなくて、未来に育つ何かの種子であることを祈っています。」(※ご自分の使命の自覚)
 彼女は、数年後に再渡米して米イエール大学他を卒業して帰国後、華族女学校(現学習院)で教鞭をとり、後に女子英学塾(現津田塾大学)を開設します。ナイチンゲール(一八二〇❘一九一〇)やヘレンケラー(一八八〇❘一九六八)とも親交があったようです。再帰国時のランマン夫妻に宛てた手紙に彼女は、「私たちは大海の中の一滴の水にすぎないのです。」「どうしたら日本の女性のために役立つか、どこから始めたらよいか、全く道は暗くておぼつかないのです。どうか私のために、この困難な道を私が迷わずに行けるように神さまが導いてくださるように、お祈りください。」と書いています。帰国後の彼女の人生が神様に導かれ、ランマン夫妻の篤い祈りに支えられていたことをうかがい知ります。
 彼女は晩年、病を患い入退院を繰り返す中で書き綴っています。「自分自身の事をいつまでも思い煩うまい。物事の永遠の成り立ちの中で、私や私の仕事などはごく些少なものに過ぎないことを学ばなければならない。・・・・・新しい苗木が芽生える為には一粒の種子が砕け散らなければならないのだ。私と塾についてもそう言えるのではないだろうか。その思いが念頭を去らない。」一九一七(大正六)年六月三日
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」
ヨハネの福音書十二章二十四、二十五節
新五千円札の津田梅子さんの肖像は主イエス様を信じてこの世を生きぬいた彼女の信仰の生涯を私たちに彷彿させます。