体の変化
最近同世代で老眼についてよく話します。若い頃は本などを離しながら目を細めて見る姿を見て「何をしてるんだろう?」と思っていましたが、実際になってみると実に不便です。
特に暗い場所ではさらに文字のピントを合わせることができず苦労します。先輩に相談すると「これからますます見えなくなるよ(笑)」と言われました。
またかつては準備運動も無しにいきなり激しい運動をしても翌日筋肉痛になる程度で治っていましたが、今は慣れない動きを少ししただけですぐに怪我をして、しかも治りにくくなりました。自分の体は年々衰えてきており、最終的には死に向かっているのだと実感します。
そして年齢を重ねるにつれて楽になるのではなく、むしろさまざまな努力が必要とされることに気付き始めました。気力、体力、知力が充実しているとやりたいことがすぐにできますし行きたい所に行けます。将来に向けて希望をもって力強く進んでいくことができます。かつてはそれがいつまでも続くと漠然と考えていましたが、実はそうではなくどんどん出来なくなっていくのが現実だと理解し始めました。
聖書に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また、「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に」(伝道者の書十二章一節)と書かれています。後半のみことばは人の晩年の状態を言っており、その様子が数節にわたって比喩的に表現されています。まさに聖書は約三千年も前から私たちに教訓を与えているのです。
若い方々にお勧めしたいのですが是非聖書を読んでください。何が人生で一番大切なのかが書かれてあるからです。目の前の興味関心事を最優先させず、早い段階で正しい目的をもって歩むことができれば、それだけ有意義な人生を過ごすことができるはずです。
人生の先輩方にも聖書を読むことをお勧め致します。そこには死後に対する希望があるからです。肉体は日々衰えていっても、主イエス・キリストを信じる信仰によって与えられる新しい永遠のいのちが、日々新たにされていく喜びを見出すことができるからです。