事実と真実

 物の見方は、角度が違うと別物に見えます例えば、円柱は真上から見ますと丸に見えますが真横から見ますと長方形に見えます。その物体を知るためには、様々な角度から見ないと、どのようなものか理解できないと思います。
 世の中一般的に「聖書」は、キリスト教の経典として知れ渡っています。キリスト教の歴史を見る時に、残念ながら聖書の教えから離れてしまっている事象があるのも事実です
 なぜ、偽札があるのでしょうか。それは、本物があるからではないでしょうか。最初から偽札は存在しません。本物があるからこそ偽札が存在してきます。
 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」ヨハネ十四章六節
今から二千年前に言われたことばです。イスラエルという国は、日本の四国と同じくらいの大きさだそうです。そのような中で、二千年前に行動された御方です。様々な言葉を残され、それが二千年経った今でも、世界中で語られ続けられているということも事実です。
 イエス様は大工の息子でした。当時の立派な学業を経験したわけでもありませんが、イエス様は、正しい教えをされたので当時の宗教家たちや国の代表者たちの迫害を受けられました。
 しかし、イエス様が言われた言葉の通りになっているというのを、どのように説明するのでしょうか。イエス様は、ある女性の出来事を「世界中のどこでも、この福音が述べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」(マタイ二十六章十三節)と言われました。当時の人たちからすれば、何を大げさなことを言っているのかと、いうことにならないでしょうか。事実、石を投げられそうになり、しばしば殺されそうになったことも記されてあります。また、イエス様は、当時の宗教家たちに「人を惑わす男」と言われていました。二千年経った今、どうでしょうか。
 真実とは何でしょうか。イエス様は、歴史上、今から二千年前に十字架にかかり死なれた男として世界中に知れ渡っております。しかし、聖書は、このイエス・キリストこそ、全人類の救い主として公に記されてあります。どうして、人間は墓を作るのでしょうか。死んだら、本当に終わりなのでしょうか。聖書で人は永遠の存在として記されてあります。イエス・キリストは死なれましたが、三日目によみがえられたと主張しております。
 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」ヨハネ十一章二十五節