現実のこと…
2022年2月24日、ウクライナを巻き込んだ戦争が始まりました。それから3年が経ちます。
そのような戦争下で働いているクリスチャンたちがおります。これは、現実のことです。私たちは戦争のない日本で生活していますから、あまり実感が持てません。
しかし、ウクライナの現状を聞きますと、本当に悲惨なものです。日常でミサイルが飛来し、その度に爆発音や対空砲火の音などが聞こえるそうです。生きた心地がしないのではないでしょうか。
私たちは、このようなことを聞いても他人事なので関心のない人は、全然、関係ありません。しかし、これが自分のことになったら、どうでしょうか?
「他人事」、かつて、私は高所で作業する仕事についておりました。高所で作業する時には自分の身を守るために腰バンド(胴網:今はハーネス)を装着して登らなければなりませんでした。
自分の身を守るためです。高所で事故が起きた場合には命にかかわることなので、必ずミーティングを行い、KYT(危険予知トレーニング)を実施しました。しかし、それでも事故は起きてしまいます。
上司は、本当に他人事ではなく自分のこととして行え、と口を酸っぱくして何度も語っていました。そのような胴網やハーネスには必ず予備ロープがあり、二重で安全を確保しておりました。
戦争は悲惨なものです。それを経験した人でなければ、その恐怖はなかなか伝わらないと思います。多くの子供たちや奥さんたちは、戦争で父親や夫を亡くしております。だからこそ、戦争は絶対にいけない、核戦争などもっての外だというのは、よく理解できるのではないでしょうか。
聖書は、私たちに現実を示します。なぜ、人間が死ぬのか?なぜ、人間は愚かな戦争を繰り返すのでしょうか。聖書には、はっきりと書かれています。
「義人はいない。一人もいない。」と。聖書のみことばは永遠に立つ、とあります。時代が変わろうと何が起ころうと聖書のことばは変わりません。それは、罪の結果だ、と語ります。
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」ローマ書6章23節
どうして、そのような戦争下でもクリスチャンたちは二千年も前から変わらず、命を懸けてイエス・キリストの十字架と復活(福音)を語り継げて来たのでしょうか。
日本の戦時下であった時も同じでした。聖書は私たちに、人生はこの地上だけではなく永遠に続くものとして伝えます。だから、クリスチャンたちはどのような悪辣な環境下にあっても福音を語り続けます。
ウクライナのクリスチャンたちは、そのような環境下にあっても「神は真実な方です。」ということを曲げません。人は何のために生きているのでしょうか。聖書を読んでみてください。どのような時代であっても、決して変わることがなかった聖書にその答えが書かれてあります。