ローレル(月桂樹)の木
金ヶ作キリスト集会所の玄関の前に植えられているローレルの木が大きく育ち過ぎて、枝が隣の敷地の上に伸びたり、集会所の看板を覆い隠したりしてしまっていることから、昨年末にこれを剪定することになり、幹から分かれ出る大きな枝の根元に近い部分からばっさりと剪定がなされました。
それから約二か月の時がたちましたが、気が付くと、剪定によりほぼ丸坊主になった枝の先端部分から細い若枝が何本も生え出ており、また、ローレルの太い幹の周辺の地面からは何本もの若枝が地面から真っすぐ上に伸びておりました。
そのたくましい生命力に驚いていると、集会所の二階にお住いのF姉妹がこう教えてくださいました。
「この木はね、私が三十数年前にここに初めて来た時に、小さな木だったことを覚えている。そして、その小さな木は、集会所の建物増築の際に、前に植わっていた場所では邪魔になってしまい、切られてしまったローレルの木の枝を植えたものだと聞いたのよ。」
元々、そのローレルの木はF兄の召された前の奥様が近くで買って来られたものを植えたものであり、集会所の増築の際に泣く泣く切らざるを得なかったけれども、その枝を新しく植え直して、今の大きな木にまで成長したというエピソードだったのです。
F姉妹は更に「この木を見ているとヨブ記のみ言葉が思い起こされるのよ。」と話して下さいました。
「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。しかし、人間は死ぬと、倒れたきりだ。人は、息絶えると、どこにいるか。」ヨブ記十四章七~十節
ヨブ記は聖書の中でも最も古い時代に書かれた書であるそうです。しかし、木に対する正確な観察があり、木の見事な生命力と人の命のはかなさが対比されて書かれています。確かに木の命に比べてこの世での人の命ははかないものかもしれません。
しかし、ヨブ記が書かれた時代にはまだ無かったイエス・キリストの十字架による救いが、今は、完成して与えられており、クリスチャンには永遠の命の希望が約束されています。ローレルの木の生命力も見事ですが、クリスチャンの希望は更に力強いものなのです。

