聖書に何が書かれているか

 聖書は辞書ほどの分厚い書物です。聖書は本屋でも売っており、また、ホテルによっては備え付けられている所もあります。聖書は古い本ですが今も世界中で一番読まれているベストセラーです。けれども、日本ではそれほど読まれていないのが実情です。では世界一有名な書物である聖書には何が書かれているのでしょうか。聖書には、要約すると以下の三つの内容が記されています。
 一.神様について
 二.人について
 三.イエス・キリストについて
この三つの内容について聖書に書かれた内容と日本で古くから考えられてきた事の異なる点について、ご説明します。

一.神様について
「神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」聖書(ローマ人への手紙 一章二十節)
 日本では八百万の神(やおよろずの神)と言われ、たくさんの神々が祀られています。しかし聖書は、神様は唯一であると教えています。また、世の中の常識とされている進化論によると、私達人間は進化の過程による偶然の産物だと考えられています。しかし聖書は、神様が目的をもって人間を創造したと教えています。聖書は、目に見えない神様の存在を、神様が造られた被造物を通して知ることができると教えています。私達は、雄大な自然や人間の体の不思議さなどを通して神様の存在と素晴らしさを知ることができます。

二.人について
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉をうけることができず」聖書(ローマ人への手紙 三章二十三節)
 多くの人は、自分は良い人間だと胸を張っては言えないが、新聞に載るような殺人や強盗を犯した人と比べれば悪い人間でもなく罪人でもない、と考えています。しかし、聖書の教える罪は、私達が考える基準より遥かに高く、他人と比べてではなく完全に清い神様の御前で罪があるかどうかを問うています。神様の基準に照らし合わせると全ての人が罪人であると聖書は教えています。

三.イエス・キリストについて
「(イエス・キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」聖書(ペテロの手紙第一 二章二十四節)
 皆さんはイエス・キリストが十字架にかかって死なれたことをよくご存知だと思います。ではイエス・キリストは十字架の上で、なぜあのようなむごたらしい死を遂げなければならなかったのでしょうか。一般的には、イエス・キリストは無実にもかかわらず、ユダヤ人指導者の妬みによって十字架にかけられたと考えられています。その事は表面的には間違いではないですが、重要な点は、イエス・キリストは全ての人の身代わりとなって自分から十字架の上で死なれたという事です。全ての人が受けるはずの罪の裁きを完全に清い神様の御子であるイエス・キリストが十字架の上で受けられました。イエス・キリストの身代わりの死によって救いが完成しました。その救いを信じた者は死後にある罪の裁きから救われ、天国に入る事ができます。

福音集会に来てイエス・キリストの救いについて話を聞いてみませんか。